| 154年 | |
|---|---|
| 155年 | 曹操生まれる。 |
| 156年 | |
| 157年 | 孫堅、生まれる |
| 158年 | |
| 159年 | |
| 160年 | |
| 161年 | 劉備生まれる |
| 162年 | |
| 163年 | 荀ケ生まれる |
| 164年 | |
| 165年 | |
| 166年 | 第一次党錮の禁 |
| 大秦王安敦(マルクス=アウレリウス)の使者来る | |
| 167年 | 桓帝死す(位146〜167) |
| 霊帝即位 | |
| 168年 | 外戚の大将軍竇武、大傅陳蕃を中常侍曹節が処刑
宦官が外戚、官僚を一掃 |
| 169年 | 第二次党錮の禁 |
| 170年 | |
| 171年 | |
| 172年 | |
| 173年 | |
| 174年 | |
| 175年 | 曹操、孝廉に推挙され朗となる |
| 孫策、周瑜生まれる | |
| 176年 | |
| 177年 | |
| 178年 | |
| 179年 | |
| 180年 | |
| 181年 | 諸葛亮生まれる |
| 霊帝、模擬店舗で遊ぶ | |
| 182年 | 孫権生まれる |
| 183年 | |
| 184年 | 太平道の張角、蜂起する(黄巾の乱勃発) |
| 皇甫嵩、曹操ら黄巾の乱を鎮圧する | |
| 185年 | 韓遂、蜂起 |
| 186年 | |
| 187年 | 曹丕生まれる |
| 188年 | 西園八校尉設置 |
| 曹操、西園八校尉の一つ典軍校尉に就任 | |
| 劉焉、蜀に赴き独立勢力に | |
| 189年 | 霊帝死す |
| 少帝即位 | |
| 外戚の大将軍何進宦官殺害計画を立てるが逆に殺される | |
| 董卓、何進の招きに応じ洛陽に入り 少帝を廃し、献帝を擁立する。 | |
| 曹操、董卓に招かれるも辞退。故郷に逃げ帰り、 反董卓の兵を集める | |
| 190年 | 董卓の少帝廃立に反対し、袁紹を盟主とした、 十七鎮の諸侯が挙兵 |
| 董卓、献帝らを長安に移らせ、洛陽を焼き払う | |
| 反董卓連合、曹操ひとり奮闘するも、敗れる | |
| 劉岱、橋瑁を殺害 | |
| 袁紹と韓馥、劉虞を皇帝に立てようと計画し 曹操に持ちかけるが、反対される。曹操、袁紹を私欲の男とみなす | |
| 191年 | 袁紹と韓馥、劉虞を擁立するも、劉虞は、あくまでも受けず |
| 袁紹、韓馥を脅して、冀州を奪う | |
| 孫堅、洛陽に入る | |
| 孫堅、袁術の命で劉表を攻めるが、黄祖の配下に討ち取られる | |
| 192年 | 曹操、袁紹の要請を受け、黒山の賊、匈奴を討つ |
| 司徒王允、呂布と共謀し、董卓を殺害 | |
董卓の将軍、李 と郭氾、王允、呂布を攻め王允を殺害、呂布は敗走。
李 ら、朝政を思いのままにする
| |
青州黄巾賊、 州に侵攻し、劉岱を討ち取る鮑信、曹操に 州牧を引きうせさせ、曹操と共に奮闘するも討ち死に
| |
曹操、青州黄巾賊を打破、降伏を受け入れ、兵士三十万、と百万の民を得、 青州兵と名付ける | |
袁術と袁紹が仲違いをし、公孫 は袁術の依頼を受け劉備、陶謙と共に、
袁紹を攻めるも、曹操が袁紹に援軍を出し敗退
| |
| 曹植生まれる | |
| 193年 | 袁術、黒山の残賊と共に曹操を攻めるも、劉表に糧道を断たれ、 曹操に大敗。 |
| 陶謙、自称天子の闕宣と手を組み、周囲を略奪し、遂には闕宣を殺しその兵を収める | |
| 曹嵩、曹操に会いに行く途中、陶謙領で陶謙の配下に殺害される | |
| 曹操、陶謙を攻め陶謙領の城十余を落す | |
公孫 、幽州牧劉虞を攻め、殺す
| |
| 孫策、袁術の指示で江東を攻め、自らの手中に収める(会稽を196年に落とす) | |
| 194年 | 曹操大挙して陶謙領を攻めるも張 が、呂布を迎え謀反を起したため
退却この戦いの際に曹操は、住民を多く虐殺した |
| 曹操、呂布と戦い負傷する。戦いは、両軍共に食料が尽き引き上げた | |
| 陶謙死亡、劉備が後を継ぐ | |
| 大飢饉起こる | |
| 劉焉死去。子の劉璋が後を継ぐ | |
| 195年 | 曹操、呂布と度々戦いこれを打ち負かす。呂布は劉備の下に敗走 |
曹操、張 を攻め、彼の三族皆殺しにする張 は逃げるも部下に殺される
| |
李 、献帝を強奪。皇甫嵩、憤死
| |
| 196年 | 曹操、洛陽に献帝を迎え、許昌に献帝を移す |
| 曹操、楊奉を討つ | |
| 袁紹、曹操により、大将軍に任命される | |
| 棗祗と韓浩、屯田制を曹操に献策し、屯田制が実施される | |
| 呂布、劉備を襲撃する。劉備、曹操の下に逃げ、曹操、これを保護する | |
| 張済死す、甥の張繍がその軍を支配する | |
| 197年 | 張繍、曹操に降るも、謀反。曹操の不意をつき、曹操の長子曹昂と甥の曹安民を討ち取り、 曹操に怪我を負わす。その後もしばしば戦う |
| 袁術、帝位を称したが、呂布に反対され呂布を攻めるも大敗 | |
| 袁術、曹操領を攻めるが、曹操自ら出てくると逃亡 | |
| 198年 | 劉備は、徐州に帰ったが、呂布、袁術と再び組み、高順を遣わし劉備を討つ |
| 曹操、劉備の援軍に夏侯惇を出すも敗れる | |
| 曹操、自ら呂布を攻め、水攻めにより勝つ。呂布と陳宮を捕らえて処刑
劉備は、再び曹操の下へ | |
| 孫策、討逆将軍、呉侯に就く | |
衡、劉表の配下黄祖に殺される
| |
| 199年 | 曹操、袁紹に降った賊を討ち、袁紹と対立 |
公孫 、袁紹に敗れ、自刃
| |
| 曹操、官渡に陣を敷く | |
| 張繍、曹操に降り、列侯に封じられる | |
| 袁術、袁紹を頼って逃げるが、曹操が劉備、朱霊を遣わした。袁術は、道途中で病死 | |
| 劉備、袁術征伐の際徐州を乗っ取り、曹操の追っ手を退ける | |
| 200年 | 董承ら、曹操の暗殺を企てるも、発覚。全員処刑。 |
| 曹操、自ら劉備を討ち、劉備は袁紹の下に逃げ、関羽は、曹操に降伏する。 | |
| 袁紹の将顔良ら、白馬の劉延を攻めるが、曹操の奇策により関羽、張遼が、顔良を斬る | |
| 文醜、劉備と共に曹操を攻めるが、囮に引っかかり、顔良は討ち死に | |
| 関羽、劉備の下に逃げ帰る | |
| 劉備、反乱を起した汝南の劉辟を助けるも、曹仁に打ち破られる | |
| 孫策、許昌を襲撃しようとするが、刺客により暗殺される。後継は弟の孫権 | |
| 袁紹の将許攸、曹操に寝返り、兵糧の輸送路をばらし、曹操、袁紹の兵糧を大量に焼き払う 袁紹、その隙に、本陣を攻めようとするも失敗し、壊走 | |
| 201年 | 袁紹、旧領回復に奮闘 |
| 劉備、汝南で曹操に対するも、曹操自ら来るや、劉表の下へ逃げる | |
| 202年 | 袁紹、病死。末子袁尚が後を継ぐ。長子袁譚は、独立した勢力を作る |
| 曹操、袁尚と袁譚を討ち連戦連勝 | |
| 姜維、生まれる | |
| 203年 | 曹操、劉表を攻める |
| 袁尚と袁譚、相争い、袁譚、敗れて曹操に降る | |
| 孫権、黄祖を攻める | |
| 204年 | 曹操、袁尚を攻め、ぎょうを占領する |
| 曹操、冀州牧に就任 | |
| 袁譚、曹操に敗れた袁尚を攻めその兵を乗っ取り、南皮に篭る | |
| 205年 | 曹操、袁譚を討ち滅ぼして斬る |
| 袁尚、配下の焦触、張南に裏切られ、烏丸に弟袁熙と共に逃げる | |
| 高幹、曹操に降っていたが謀反 | |
| 黒山賊の張燕、曹操に降る | |
| 206年 | 楽進と李典、高幹を攻める。高幹は荊州に逃れようとしたが 見つかり斬られる |
| 207年 | 曹操、烏丸を攻め、その主とうとんを討ち取る |
| 袁尚と袁熙、遼東に逃げるが、遼東の君主公孫康は彼らを斬り、首を曹操に送る | |
| 208年 | 曹操、玄武池を造り水軍の訓練をする。曹操、丞相に就任 |
| 孫権、黄祖を攻め討ち取る | |
| 孔融、曹操に処刑される | |
| 曹操、劉表を攻める | |
| 劉表病死。劉そうが後を継ぎ曹操に降伏 | |
| 孫権、劉備の協力し合肥を攻めるも敗退 | |
| 劉備と孫権の将周瑜、赤壁で曹操を打ち破る | |
| 209年 | 劉備、孫権の妹孫尚香を娶る |
| 210年 | 曹操、銅雀台を築く |
| 周瑜、蜀を攻めようと準備するが、半ばにして死亡 | |
| 211年 | 張魯、漢中を占拠し、曹操、錘 、夏侯淵に討伐さす
|
| 馬超と韓遂、関西で兵を起こし、曹操、自ら攻伐に赴き乱を治める | |
| 劉備、入蜀 | |
| 212年 | 荀ケ、曹操の帝位就任問題で対立し服毒死 |
| 213年 | 曹操、孫権を攻め、これを打ち破る |
| 曹操、魏公に就く | |
| 馬超と韓遂、再び乱を起こす | |
| 214年 | 馬超、戦いに敗れ漢中に逃げる。韓遂は再び戦いを挑むも敗退 |
| 曹操、孫権を攻めるも敗退 | |
劉備、蜀都成都を包囲、劉璋が降伏して蜀の地を手に入れる。 統、戦死
| |
| 荀攸死去 | |
| 215年 | 韓遂死す |
| 曹操、張魯を攻め、張魯は降伏 | |
| 孫権、合肥を攻めるが、張遼に撃ち破られる | |
| 劉備、劉璋を攻め、益州を手中にいれる | |
| 216年 | 曹操、魏王に就く |
| 217年 | 曹操、孫権を攻め勝つ |
| 曹丕、太子に立てられる | |
| 孫権、曹操に降る | |
| 218年 | 軍医吉本と耿紀らが反乱を起こすが、王必によって治められる |
| 王必、反乱鎮圧の際の矢傷が元で死亡 | |
| 曹洪、劉備の将呉蘭を攻め大勝。呉蘭はていに逃亡するも、殺される | |
| 219年 | 夏侯淵、劉備を攻めるが大敗、夏侯淵は黄忠に斬られる |
| 曹操、漢中の劉備を攻めるが敗退 | |
| 劉備、漢中王を称す | |
関羽、曹仁を攻め、援将于禁を捕らえ、 悳を斬るが、孫権が裏切り敗走
| |
| 220年 | 孫権、関羽を捕らえ斬り曹操に首を送る |
| 曹操死す、諡を武王、後に武皇帝。 | |
| 夏侯惇死す | |
| 蜀漢の将孟達、魏に降伏 | |
| 献帝、曹丕に禅譲し山陽公に。曹丕、皇帝に即位。魏王朝建国 | |
| 曹嵩、太皇帝に追尊される | |
| 陳羣、九品官人法を定める | |
| 221年 | 孫権、魏に使者を送り、大将軍、呉王に任じられる |
| 曹丕の正妻甄氏、曹丕に自殺に追い込まれて死亡 | |
| 張飛、部下に殺される | |
| 劉備、帝位に昇る | |
| 222年 | 夷陵の戦い。劉備、孫権を攻めるも大敗 |
| 孫権、人質問題で魏を裏切る。曹丕、討伐に向かうも、孫権、長江に塁を固めて守り、曹丕は退却 | |
| 呉蜀外交関係を修復 | |
| 223年 | 曹仁死亡 |
| 曹彰死亡 | |
| 呉の朱桓、魏の曹仁を攻め、大勝 | |
| 劉備逝去。後継ぎは、息子の劉禅。補佐は諸葛亮 | |
| 呉蜀同盟 | |
| 224年 | |
| 225年 | 諸葛亮、南征。孟獲を降す |
| 226年 | 曹丕死す。諡は文帝。 |
| 曹叡帝位に就く | |
| 孫権、魏を2度せめるも、司馬懿らに防がれる | |
| 227年 | 孟達反乱 |
| 228年 | 司馬懿、孟達を攻め、攻め殺す |
| 蜀漢の将諸葛亮、北伐を実行するも、街亭にて敗退 | |
| 曹休、呉を攻めたが、周鮑の羊降に引っかかり大敗。曹休は、それが元で病死 | |
| 王朗死亡 | |
諸葛亮、二次北伐開始するが、陳倉の 昭奮戦により敗退
| |
| 公孫淵、公孫恭の位を強奪し遼東太守に就く | |
| 229年 | 曹騰、高皇帝に追尊 |
| 孫権、帝位に就く | |
| 230年 | 錘 死去
|
| 司馬懿と曹真、蜀漢を攻めたが敗北 | |
| 曹操の正妻卞氏崩御 | |
| 231年 | 諸葛亮、再度北伐を試みるも、司馬懿に阻まれ失敗 |
華 死す
| |
| 232年 | 曹植死す |
| 233年 | 陳寿生まれる |
| 公孫淵、呉に服属するふりをし、呉を誑かし呉の使者を殺し、魏に服属する | |
| 234年 | 献帝死去 |
| 諸葛亮、北伐を行い、司馬懿と五丈原で対峙する。 | |
| 孫権合肥を攻めるが、曹叡と満寵に防がれる | |
| 諸葛亮、陣没 | |
| 235年 | 曹丕の皇后郭氏崩御 |
| 236年 | 陳羣死去 |
| 237年 | 孫権の将朱然、魏の江夏郡を攻めたが敗退 |
| 公孫淵、謀反を起こし、母丘倹、討伐に向かうが長雨の為退却 公孫淵は、燕王になる | |
| 曹叡、毛皇后を殺し郭皇后を立てる | |
| 238年 | 司馬懿、公孫淵を攻め、公孫淵を殺す |
| 倭の女王卑弥呼の使者難升米、魏の都に赴く | |
| 239年 | 曹叡崩御。諡を明帝 |
| 明帝の養子の斉王曹芳、帝位に就く。補佐は司馬懿と曹爽(曹芳が8歳であった為) | |
| 240年 | 黄権死去 |
| 241年 | 呉の朱然ら、魏の襄陽郡を攻めるが、司馬懿に防がれる |
| 呉の太子孫登死去 | |
| 242年 | 満寵死す |
| 曹髦生まれる(241?) | |
| 243年 | 倭の女王卑弥呼、魏に使いを送る |
| 244年 | 曹爽、蜀を攻めるが敗北 |
| 245年 | 孫権の太子孫和と孫覇対立が激化し、巻き込まれて張休、陸遜らが死亡 |
| 蜀漢のしょうえん、董允が死去 | |
| 246年 | 母丘倹、高句麗を討伐し勝利を収める |
| 朱然、柤中に侵入し、曹爽討伐に出るも、司馬懿の助言を聞かず敗退 | |
| 247年 | 蜀漢の姜維、魏を攻め、夏侯覇、郭淮と争う |
| 248年 | |
| 249年 | 司馬懿クーデターを起こし曹爽の一族を殺す(一応、司馬懿が曹爽ら一味のクーデターを暴き(でっち上げ?)三族皆殺した。という事になっている)夏侯覇は蜀漢に亡命 |
| 朱然、死去 | |
| 姜維、北伐を行うが、郭淮らに防がれる | |
| 250年 | 王昶、呉を急襲し勝利を得る |
| 孫権、太子そ孫和を廃し、孫覇を自殺させその郎党を誅殺し、孫亮を太子に立てる後見に諸葛恪 | |
| 251年 | 王基と州泰、呉を攻め勝つ |
魏の大尉王 クーデターを企てるが、失敗
| |
| 司馬懿、逝去 | |
| 252年 | 王昶、胡遵、母丘倹ら、呉を攻めたが、諸葛恪に防がれ大敗 |
| 孫権逝去。孫亮が後を継ぐ | |
| 253年 | 諸葛恪、合肥を攻めたが、張特によって防がれる |
| 蜀漢の姜維、北伐を行うが、郭淮、陳泰らによって撤退させられる | |
| 呉の孫峻、孫亮と謀り、諸葛恪を誅殺 | |
| 254年 | 姜維、北伐 |
| 曹芳、酒色荒淫にふけり、司馬師ら、皇太后郭元に上奏し曹芳を廃す。曹芳は、斉王にもどる | |
| 文帝の孫高貴郷公曹髦、帝位に就く。父は曹霖 | |
| 255年 | 母丘倹と文欽、反乱を起こすが、司馬師によって鎮圧される 母丘倹は死亡、文欽は呉に逃亡 |
| 郭淮逝去 | |
| 司馬師逝去 | |
| 呉の孫峻、寿春を攻めるも、諸葛誕に破られ敗退 | |
| 姜維、北伐を行い、王経を破ったが、ケ艾、陳泰、司馬孚らが防戦にあたっため退却 | |
| 256年 | 胡遵逝去 |
| ケ艾、姜維を散々に撃ち破る | |
| 孫峻死去呉の実権は、孫りんに移る | |
| 257年 | 諸葛誕、呉と組んで文欽らと欽反乱を起こし、曹髦、司馬昭に鎮圧に当たる。 |
| 姜維は、北伐を行うが、司馬望とケ艾に防がれる | |
| 258年 | 諸葛誕、司馬昭に斬られる |
| 孫リン、クーデターを起こし、孫亮を廃し会稽王とし、孫休を帝位につける | |
| 孫休、丁奉と謀り、孫リンを殺す | |
| 259年 | 王昶逝去 |
| 260年 | 曹髦、司馬昭に対し、下僕等を引きつれ自ら攻めるが、賈充配下に討ち取られる |
| 曹操の孫曹奐、帝位に就く。父は曹宇 | |
| 261年 | |
| 262年 | 姜維北伐を行ったが、ケ艾に大敗 |
| 263年 | ケ艾と錘会、蜀漢を攻め、蜀漢の後主劉禅、ケ艾に降伏
蜀漢滅亡 |
| 司馬昭、晋公になる | |
| 264年 | ケ艾、蜀にて、魏の命令を無視し独立しようとするが捕らえられる 錘会は姜維等残存勢力と組み反乱を起こすが、姜維、錘会共に内輪もめで殺される |
| 皇太后郭元崩御。元は追号 | |
| 呉、魏の国境を侵すも退却 | |
| 司馬昭、晋王に就く | |
| 劉禅、安楽公に就任 | |
| 呉の将呂興、南方の豪族等をまとめ、魏に降ろうとするも配下に殺される | |
| 孫休崩御。後継は孫晧 | |
| 265年 | 呉、魏に和を請う |
| 司馬昭逝去 | |
| 曹奐、司馬昭の子司馬炎に禅譲す。魏国滅亡。曹奐は陳留王に封じられる | |
| 266年 | 倭の使者、晋に訪れる |
| 267年 | |
| 268年 | 呉の丁奉晋を攻めるが敗退 |
| 269年 | |
| 270年 | |
| 271年 | 劉禅死去 |
| 272年 | 呉の歩闡が晋に寝返ったが、陸抗が討伐 |
| 273年 | |
| 274年 | 曹芳逝去。諡を詞。 |
| 陸抗死去 | |
| 275年 | |
| 276年 | |
| 277年 | |
| 278年 | 晋、呉を攻め勝つ |
| 279年 | 晋、大挙して呉を攻める。総指揮は賈充 |
| 280年 | 呉、晋に降伏。呉が滅亡。孫晧は帰命侯に封じられる |
| 281年 | |
| 282年 | 呉の遺臣反乱を起こすが鎮圧される |
| 283年 | 孫晧死亡 |
| 284年 | |
| 285年 | |
| 286年 | |
| 287年 | |
| 288年 | |
| 289年 | |
| 290年 | |
| 291年 | |
| 292年 | |
| 293年 | |
| 294年 | |
| 295年 | |
| 296年 | |
| 297年 | 陳寿死す |
| 298年 | |
| 299年 | |
| 300年 | 八王の乱(〜306) |
| 301年 | |
| 302年 | 曹奐崩御。諡を元皇帝 |