尹大目

姓を尹、字は大目。 幼い時から曹家の家僕として働いていた。司馬懿のクーデターの際に曹爽への使者となり、 曹爽に「免官だけですます洛水に誓う」と、言うが結局、曹爽は殺される。
諸葛誕、文欽らが反乱を起こした際、司馬昭に文欽の説得を進言し受け入れられる。 その際、司馬師の顔の腫れ物が目を覆うほどになって死にそうだった事を 文欽に伝えようと「何に苦しんで数日間の辛抱が出来ないのでしょうか」と諷諫を行うが、 文欽は理解できず激怒して帰っていく。

于禁

字を文則。黄巾の乱の際。鮑信に付き従った。鮑信亡き後、後を継いだ曹操に仕え、王朗付きの将 となる。王朗の推挙で、曹操の直臣になる。その後、呂布との戦いで戦功を上げ、呂布を捕らえる。 張繍との戦いの際、総崩れとなる曹操軍の中、唯一人兵をまとめ曹操を守り退却する。 性格は清廉、軍を保つこと厳格で略奪品を自分の懐に納めることは無く、自分のやることに信念を持 ち続けていた。 法を破ることは絶対にせず、降伏してきた旧友を法律では許せないからと斬ることもあった。
しかし、配下を法律であまりにも統率したため、心がつかめなかった。
曹操は、大いに気に入り、進む時には先鋒、退く時には殿を任せるといった感じであった。
関羽と戦う曹仁の援軍に悳と共に向かうが、長雨になり、洪水になった。 その際水を避け高地に陣取ったところを関羽に攻められ、悳は討ち死にし 、結局于禁は降伏する。その後、孫権が関羽を捕らえたので呉に住み、孫権が魏に蕃国の礼を取ったので その際に帰国する。 于禁は曹丕に謁見し、「水害による敗戦で戦争責任は無い」と復職する。 呉に使者に向かう途中曹丕の命で曹操の陵にに参拝した。 その壁面に曹丕があらかじめ書かしておいた、関羽が勝ち、悳が憤怒し、于禁が 降伏している絵を見て、面目無さと、腹立たしさで病気になり、愧死する。



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