成の臣。袁術の従弟、一説には甥。袁術の元で周瑜の叔父の周尚の代わりに丹楊太守になった。
孫策が江東を統一した際追い払われた。袁術はそのことを恨みに思い、周囲の異民族を煽り孫策を攻めさせ
たがうまく行かなかった。
袁術の死後その遺骸や家族を守り、劉勲を頼るが、孫策が劉勲を攻めた際に袁術の妻子は捕らえられた。
袁胤は、その場で殺されたとも、逃れた後、廬江で殺されたとも。
袁紹の次男。字を顕奕。魏の曹丕の妻甄后を妻としていた。父、袁紹のもとで幽州を治める。
官渡の戦いで曹操に敗れた後、袁尚を匿い曹操と度々戦ったが勝てなかった。
その後、遼東の公孫康を殺し遼東を乗っ取り体制を立て直そうとするが、逆に待ち伏せに遭い
袁尚と共に捕らえられた。その際、袁尚が寒がって蓆を求めたが、袁熙は「首が万里の旅に出る時になって
、何の蓆がいるものか」といって首を斬られた。字は、顕突とも。
三国志トップへ 武将TOPへ ホームへ