1、概略 2、三国志について 3、三国志の内容
1、概略
 内容解説は3番から。
三国時代が何年かと言えば、教科書なんかでは、220〜280年の中国というふうになってます。 これは、三国時代の三国である魏、呉、蜀漢の魏が建国された年220〜呉が滅んだ年280年までということです。
 しかし、三国時代と言えば、後漢の末黄巾の乱という大乱が起こる前辺りからと言うことになる。 これは当然、三国時代へのプロセスと言うワケです。いきなり国が出来上がってても何がなんだか解らないですからね。

2、三国志、三国志演義について
 三国志とは書物のことで、陳寿が書いた「蜀志」と、王沈という人が書いた「魏書」や、韋昭の「呉書」等を、陳寿が編纂し、 「蜀志」十五巻、「魏志」三十巻、「呉志」二十巻、合わせて六五巻の紀伝体で書かれたもので、正史に数えられる名著である。
 特徴は、魏を漢の正当な後継者と認めていると言うことです。
 それに対して、魏を正当とは認めないよ、と言う立場で書かれた書物が「三国志演義」なのです。  この書物は、立場と書いたが、そう言ったものよりその時の住民の意識みたいな物の総決算で書かれたものである。
三国志演義の作者は羅貫中という明末清初の人で、この人の生い立ちとかは不明だが、ある程度の教養と、地位を持ってる人だと思われる。
この時代には、すでに三国志の書物が出回り、そのほとんどが、蜀漢が主人公であり、魏は敵であった。 羅貫中はその書物を読んだが、あまりにも通俗的であったため、知識人にも読んでもらえるような書き方によって作ろうとした。 そうして出来たのが三国志演義であり、たちまち中国全土に広まり、日本にも入ってきた。 日本においてこれを大衆小説として大成させたのは、吉川英治である。 内容は当然、蜀漢を正当とした物語である。
なぜ、蜀漢に人々は惹きつけられたのか?そう言ったことは、三国志年表に書いて行きたいと思う。
3、三国志の内容について
 まず、時代背景として、後漢末期です。漢は紀元前202年から紀元後220年までです。途中に王莽という人が建てた新 という国が漢を乗っ取ったので(紀元後8〜23)その前後で、前を前漢、後を後漢と呼ぶのです。都が長安から洛陽に移ったので 西漢、東漢とも言います。 この国の末期に、霊帝という皇帝が出てきます。霊というのは、暗愚な皇帝につけられる称号でこの霊帝も 期待にそむかぬ暗愚ぶりで、皇帝の癖に蓄財が好きで、商人の真似事などをしていました。 この人は若くして皇帝になったせいか、お約束の様に宦官が好きで、彼らを寵愛していました。 それをいさめる人物は、党錮の禁によって追放されたばかりで皆無でした。 曹操のように新任の官吏が諌めることもありましたが、宦官により地方に飛ばされたりしてまったくでした。 そして、地方には蓄財に走った皇帝により毟り取られた、民の怒りは頂点に達し、それに救いを差し伸べた 太平道は、百万に達しようかと言う信者を得、遂には後漢に対し反旗を翻すのです。 その乱を静めたのが、曹操、袁紹、劉備、孫堅らのその後の時代を背負う人達だったのです。 乱が静まったあと、霊帝は、崩御します。またお約束の様に跡目争いがあり、天下は多いに乱れていくことになるのです。
以下次回。

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