伊籍

字を機伯。劉表に仕え、劉備が劉表の下に来たさい劉備の下に通い、そのまま劉備に仕える。 劉表の配下に劉備が命を狙われているのを助けたと言われている。他に、馬良らを推薦したりもした。 外交官として力を発揮し、孫権を言い負かし感服さした。内政では法正、諸葛亮らと共に、蜀の法律 「蜀科」の編纂に当たった。蜀での待遇は孫乾、簡雍に継いだものであった。

尹黙

字を思潜。益州に生まれ、その地の学問の低さを嘆き、荊州に遊学し、司馬徽に学んだ。 すべての経書、史書に通じ、左氏春秋にいたっては全てを暗誦できた。
劉備によって、劉禅の教育者の一人として左氏春秋を教えた。後に諸葛亮により、 軍祭酒として、漢中を守り、諸葛亮の死後は、成都に帰還して内政を行う。
劉備の皇帝即位を積極的に進めた一人でもある。




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