于吉

呉の道士。順帝の時代、太平清領道を順帝に献上した。
『江表伝』には 孫策の時代に、符や水で病気を治していた。孫策主催の宴会の際、于吉が通りかかったら、宴会に参加して いた三分の二までが礼拝した。その為、孫策は彼を殺そうとし、皆が反対したが「妖しげな術を行い、 部将の君臣の礼を無視し、この私を無視して自分を礼拝させるようなやつ生かせてはおけん」 と、斬り殺してしまう。しかし、その後も彼を祭ることは続いていった。
しかし、『志林』には、 彼は、この時百歳近くであり、敬老の思想がある中国において、死罪に当たるような罪でもない彼を 殺すことは、孫策にとって不名誉なことであり、余りありえないことである。
『捜神記』には、 孫策が許昌を襲撃しようと、船を進めている際に于吉を連れて行った。 その際、旱が起こり、乾燥し将兵の士気が落ちそれを励ます為、孫策は朝から陣頭に立ち叱咤していたが 、部将達は、于吉のもとに集まっていた。それを見て孫策は激怒し「俺が于吉に及ばぬから、彼のもと で彼の言い付けを守っているのか」と、いって、彼を捕らえ「俺が朝早くから頑張っているのに、お前 は船中 に安座し、部下を駄目にしている。生かせてはおけん」と、いって、縛って地面に転がし、「もし 雨が降ったのであれば助けてやる」と、いうと、すぐ大雨が降るが、孫策は、それでも于吉を斬る。
その後、また大雨が降り、死体が消えたと言う。



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